TO PARENTS
ボートレーサーとその家族

浜本 裕己選手のお母様・妹様に聞きました

一生懸命だから「損得の計算」ができない。(笑)

一生懸命だから「損得の計算」ができない。(笑)

人の個性はどのようにつくられるのだろうか。
うまれながら備わっていることもあれば、環境や出会いによって育まれるものもあるだろう。偶然の要素も否定できない。
しかし、偶然という絶好の機会をつかむかどうかは人の意思による。
大阪支部の浜本裕己(115期)もそんなひとりである。
東証1部上場の大手企業に勤めながら、「目の前にふいに訪れた転機」を「人生の転機」と一念発起しプロレーサーになったのだ。
ケガばかりしていたやんちゃ少年はどのように成長し、その成長を家族はどう見守っていたのか…。
母・富美代さんと妹・愛さんに聞いた。

インタビュー動画

Q1.どんな子どもでしたか?
A1.

─ 母・富美代さん
思いついたらすぐに行動してしまう子でしたね。じっとしていられないんです。だからケガが多くて、心配は尽きませんでした。遊んでいた子がボールを崖から落としてしまって困っていたのを見て、何の躊躇もなく取り行って手を何針も縫う大けがしたこともありました。本人は、何でもできると思っていて「危ないとは思わなかった」というんですが、そんなことが何度もありましたね。
だから、あまり考えずに大きい子とケンカしてしまうんです。勢いで…。よく謝りに行きました。

でも、小さい子にはとっても優しいんです。大好きだったようですね。

小学校ではサッカー、中学・高校はバスケットボールをやっていましたが、やっぱりそういう性格は出ていた気がします。ものすごく集中できるタイプですね。時には感情が抑えきれなくなることもありました。試合で負けて泣いていたこともありましたね。よほど悔しかったんだと思います。

根が真面目で一生懸命なところがあるんだと思います。一生懸命だから「損得の計算」ができない。(笑)
それもいいところだと思います。

Q2.選手になるまでの過程はいかがでしたか?
A2.

─ 母・富美代さん
やんちゃだった少年時代とは違って、高校に入ると静かな感じになりましたが、それでも自分の意思で行動する点は変わりませんでしたね。あまり相談もなく進学も決めて甲南大学経済学部に推薦で入っています。
大学時代はアルバイトに遊びに忙しかったようです。ボーリングに魅せられマイボールやマイシューズを持つまでになっていました。(アベレージは200、ベストは287とは本人の話)

この時代にいい方々に巡り合っているようです。
「自然体で当たり前のことを計算なく行なう人が多かった」と聞いたことがあります。自分がズルするタイプではないから、合ったんだと思います。長所を伸ばしてくれた方々ですね…。

とにかく、素直に行動できるタイプだったので任せっきりでした。
株式会社マンダムさんへの就職は本人の意思です。

─ 浜本裕己はアトピー症を抱えていたため、身体に関する仕事に就いてみたいという志向をもっていた。悩んでいる人の役に立ちたいというところは幼少時代から変わっていない。入社後の配属は札幌だった。ドラッグストアなどを積極的に周り、困っている人を手助けしたいと奮闘していた

それが、2年半で北海道から帰ってきたんです。

というのも、ボートレースの特集番組を見た会社の先輩が「お前、ボートレーサーになってみたら」と言ってくれたのがきっかけだったようです。
そのひとことがきっかけでいろいろ調べた上に、帰省したときにペアボートに乗りに行っているんです。当時は知りませんでしたが…。

─ このペアボート体験について浜本裕己は「スピード感がすごくて怖かったです。波でバタバタしますし、揺れもある。しがみついている感じでした」と話している。転身とこの衝撃的な体験は無縁ではない。浜本裕己は在職中に養成所試験を受け始めている。1回目の113期は1次試験で不合格となったが、2回目の114期は2次試験にまで進めた。しかし、仕事を休むことができず無念を味わうことになる

ある日、電話がかかってきたんですね。「仕事を辞めようと思う」って。
もうびっくりしてしまって、北海道に説得に行きました。
「せっかくの仕事なのに、もったいないでしょ」と話しましたが、性格は分かっていますからね…。
ケンカしながら時間をかけて話し合いをしましたが、「人生一度切り」と考えている我が子のようすを見るにつけ、「この子は決めたんだな」と感じていました。

─ そして、浜本裕己は115期生として養成所に入ることになる

Q3.「これで人生が変わる」と家族が感じた養成所への道
A3.

─ 妹・愛さんは合格を知ったときのことをこう振り返った
家の中で、私は郵便係のようになっていて、ポストの郵便物をよく取りに行っていました。その時も私が封筒を最初に手にしたんですが、思ったより薄い感じがしました。
でも通知は「合格」。そこにいた兄が「これで人生が決まるな」と言ったのをよく覚えています。
ジムに行ったり力をつける意味もあってきつい引っ越しのアルバイトをしたり努力していましたから、嬉しかったです。

─ 母・富美代さん

レースはスピードも出ていますし、危険をともないますよね。だから怖いと思いました。
でも、本人の意思ですから、受け入れて応援しようと気持ちを切り換えました。

養成所生活はとても厳しく大変だったと思います。
不適正と判断されて修了できない訓練生もいるわけですから…。

─ 26歳で入所した浜本裕己は「もし、ここまで来て帰されるようなことがあってはならないと固く思っていましたが、がんばっていても帰されることさえあるのでしんどかったです」と語るように、精神的にも研ぎ澄まされた状態で1年間を過ごすことになった。この時期について母・富美代さんは…

養成所に入らせていただいて本当に良かったと思いました。
日曜日にする電話の受け答えもしっかりしてきていましたし、何より時々しか会えないものの、顔がいいんです。いい顔をしていました。成長しているんだなと感じうれしかったです。

─ 浜本裕己は「緊張し通しであっという間に流れていく1日1日を過ごし、115期生としてプロになった。この115期は、入所35人中25人が修了している」

Q4.いま、ボートレーサーを目指す家族に言えること
A4.

─ 母・富美代さん
不安だらけですよね。私もそうでした。
でも自分の子どもが選んだ道です。
何度も何度もケンカしながら話し合った道です。
とことん話し合って決めたことですから、心底受け入れられるんだろうと思います。自分のやりたいことを見つけた子供を信じてほしいです。

─ 妹・愛さん
いまだから言えることですが、兄がテレビに映っていると、何だか遠くなってしまったように感じます。最初はとにかくケガをしないように…、と祈っていましたが、最近は1着取ってくれ~!って感情移入してみてしまうほど、ボートレースをしている兄はかっこいいと思います。

─ そして師匠の石野貴之選手からはこんな指導をされているという
レースで失敗し後悔するのはやっていないからだ。準備や努力を怠らずやり通せていたら、たとえ敗れても悔いはないはずだ。