ワシのSGクラシック

勝て、岡山! 岡山の歴代覇者たちが語るワシのSGクラシック

岡山支部と言えば、「鳳凰賞(総理大臣杯=ボートレースクラシック)とダービーにはいくらでも出ることができたけど、地区対抗とMB記念は強い選手が多すぎて出してもらえない」と言われたほどの選手層を誇った強豪支部だ。岡山勢のクラシック優勝は全51回中6回、うち4名の覇者たちに当時を振り返ってもらった。今回、岡山から7人目のクラシック覇者誕生となるか!?

年末の宮島で3回目の優勝をして、鳳凰賞に出場しました。宮島の優勝戦は逆光で皆がアジャストしたので、スリットで1艇身抜け出して優勝、鳳凰賞も1マークで大競り、2マークも大競りという展開を突いて優勝しました。両方ともツキがありましたね。

大変だったのはそこからです。優勝賞金は現金で800万円、選手になって初めて手にする大金です。これを持って帰らないといけない。武田章さんが「タイショウさん、皆の弁当代と酒代を出しない。警護して帰ってやるから」と言ってくれたので、帰りのこだまでは3人掛けシートを向かい合わせにしてワシを囲むように座ってもらい、新倉敷からは万谷章さんと林通に自宅まで送ってもらいました。

自宅に着くと、今度は「どこにお金を隠すか」じゃ。金庫はないし、田んぼの中の一軒家だし、何かあったらと弟夫婦(元選手の山本尚甫)が来てくれました。結局、タンスの後ろに100万円ずつの束を投げ入れ、翌日銀行に預けました。

工具箱の中に「9番」のプラグが...

これは初めて話すことなんじゃが...。鳳凰賞の後のレースで工具箱を開けると、いつも使わない9番(ホット系で出足型)のプラグが入っている。どうも10番(コールド系で伸び型)のプラグと間違えて買ったんじゃね。北原友次さんから「(優勝戦前に)新品のプラグに換えて焼いておけ」と言われて買った新品のプラグが、10番ではなく9番じゃった。9番だったから、あの強烈なターン回りを引き出せたんです。

優勝戦結果
着順 枠番 選手名 支部 進入 ST
1 1 山本 泰照 (岡山) 5 09
2 5 小林 嗣政 (山口) 2 06
3 6 古賀武日児 (福岡) 3 05
4 2 爾見 照雄 (愛知) 4 09
5 3 松田 雅文 (福岡) 6 12
F 4 中道 善博 (徳島) 1 +02

2連単 1-5 1,750円
スタートで飛び出した中道に小林が飛びつく。2マークで古賀と中道が大競りしたところを山本が差し抜けた。



丸亀の鳳凰賞で優勝してグランドスラムを達成したんじゃけど、行く前にはそんなことを意識もせなんだ。グランドスラム、という言葉も知らんかった。まだ瀬戸大橋はなかったので、丸亀へは濱野勝さんの釣り船に乗って行ったよ。途中で船が故障でもしたらいかんと、山本一夫も船でついてきてくれた。松尾泰宏さんも同じ船じゃった。

そのシリーズは、新ボートということもあってインが強かった。優勝戦は6号艇(今の1号艇の位置)じゃったから不安もなかった。もともと、大きなレースでもドキドキするタイプじゃないからね。

1マークを回って「勝った」と思うた

優勝戦は岡本義則さんが早めに飛び出して、ピットアウトからやり直し。当時のピットアウトは、出走の合図に合わせて係留ロープを引いて水面に出るものだった。スタート練習では岡本さんにインを取られたが、本番はワシのイン。あとは、いつもの"シチ・ゴ・サン"スタートじゃ。小回りブイを入った位置から7秒前に起こし、5秒前に80m、3秒前に40mの空中線を確認してフルかぶり。1マークを回って、「勝った」と思うた。

帰りは、丸亀に応援にきていた児島の舟券売り場の人たちの船に便乗させてもらって帰った。青いボストンバックに優勝賞金800万円を入れてね。副賞の車はスカイライン2000GTじゃった。これを濱野さんに100万円で譲ったんじゃけど...、それ以上の価値があると言うて税金が来た(笑)。

優勝戦結果
着順 枠番 選手名 支部 進入 ST
1 6 北原 友次 (岡山) 1 10
2 5 岡本 義則 (福岡) 3 03
3 4 本田 泰三 (福岡) 4 06
4 1 彦坂 郁雄 (東京) 5 05
5 3 山本 泰照 (岡山) 6 10
F 2 平尾 修二 (香川) 2 +09

2連単 6-5 900円
平尾がフライングで飛び出したが、ややアジャスト気味。北原がインから伸び返して楽に先マイを決めて決着。



SG初優勝が総理杯です。前の年の暮れから減量をして、総理杯はその年の6回目の優勝でした。

減量の理由? カチン、と来たからじゃ。地元の後輩に「黒明さんはしもうた(終わった)」というようなことを言われて、「それじゃ、しもうてないところを見せちゃろか!」と。ちょうど中学校の同窓会の話があったので、「児島正月レースを優勝して、ワシがお金を全部出しちゃる」と約束しました。もちろん正月戦は優勝です。正月戦のあとに飯を食べたら、身体が受けつけずに吐いてしもうた。飯が食えないなら今のままで良いか、と総理杯まで体重を維持していました。

優勝時は「もう勝つのはええかのう」

減量中はコーヒーのみ、もちろん砂糖も入れません。家には食べ盛りの男の子がいたので、夕食時になるとそっと家を出て、児島の海岸をランニングして、サニーホテルのサウナで汗を絞り出してから帰宅していました。減量を始めたのが12月16日だから、正月戦までの14日間で60kg超の体重を53kgまで落としたんかな。

体重が軽くなったら楽に勝てました。あまりに勝ち続けるから、どうしたら負けるのか自分でもわからなくなりましたね。22連勝目に若宮利明さんに6コースから捲られて連勝は止まったけど、その後に4連勝して優勝じゃ(笑)。

なので、総理杯で勝ったときは正直言って勝ち疲れていました。「もう勝つのはええかのう」という気持ちでしたね。

優勝戦結果
着順 枠番 選手名 支部 進入 ST
1 1 黒明 良光 (岡山) 5 10
2 5 角川 政志 (香川) 1 18
3 4 北原 友次 (岡山) 3 26
4 3 小林 嗣政 (山口) 2 12
5 2 松本 進 (愛知) 4 31
6 6 野崎 進 (滋賀) 6 23

2連単 1-5 1,860円
コース取りでもつれたが、5コースから黒明が飛び出し捲り差し。角川が猛追するも3周1マークで力尽きた。



総理杯に出た前の年(1993年)は、ものすごく調子の良い年で、年間の優出回数が26回もありました。これは年間の最高優出記録のようです。4回優勝しての総理杯出場でした。

レースにも自信を持っていましたね。スタートを決めて、全速で攻めるレースが決まっていました。体重があったのでランナ戦を走ることが多かったのですが、実を言うとランナは好きではなかった。ランナよりもハイドロで活躍したいと思っていました。ただ、ランナ戦の頃に流行っていた全速ターンをハイドロに取り入れていたので、スピードで勝っていました。

友達の活躍に「負けられない」

ランナよりもハイドロで活躍したいという気持ちは、岡山の友達の影響が大きいです。村上一行、黒明良光、林通と一緒に『岡山ヤング会』を作って、櫃石島で泊まり込みのキャンプなどをやっていましたからね。若い頃からの友達がSGで優勝するのを見て、「俺も負けられない」という気持ちがずっとありました。プロペラは優勝した下関・中国地区選で良いのができていたし、自信を持って総理杯に行った覚えがあります。

総理杯の優勝戦は中道善博がインから(コンマ08の)スタートで先手を取ったけど、2コースから得意の全速を決めて勝ちました。

勝ったときは「やっと友達と同じ立場に立てた」と思いました。選手生活で一番充実していた時期でしたね。

優勝戦結果
着順 枠番 選手名 支部 進入 ST
1 2 大森 健二 (岡山) 2 13
2 4 松田 雅文 (福岡) 3 18
3 1 中道 善博 (徳島) 1 08
4 6 吉田 隆義 (愛知) 4 21
5 3 三角 哲男 (東京) 6 20
6 5 武岡 泰治 (徳島) 5 19

2連単 2-4 850円
イン中道が先手も大森が2コースから全速で沈めた。「全速とは思わんかったですね」と松田の差しは届かず。


優勝戦結果
着順 枠番 選手名 支部 進入 ST
1 4 竹内 虎次 (岡山) 4 16
2 2 森 弘文 (兵庫) 1 24
3 1 松尾 泰宏 (佐賀) 2 25
4 3 筒井 昭 (香川) 5 36
5 5 鈴木 春巳 (愛知) 6 18
6 6 小林 嗣政 (山口) 3 27

2連単 4-2 930円

ビッグ常連の豪腕レーサー・竹内虎次がスタート一気に飛び出して優勝。

優勝戦結果
着順 枠番 選手名 支部 進入 ST
1 4 石原 洋 (岡山) 2 14
2 1 谷口 誠 (広島) 6 07
3 5 福永 達夫 (山口) 5 19
4 6 岩口 昭三 (福井) 3 12
5 2 松田 慎司 (広島) 4 24
6 3 滝野 亀次 (静岡) 1 20

2連単 4-1 2,250円

「選手権か鳳凰賞のタイトルが欲しかった」石原洋が念願の鳳凰賞覇者に。


SG BOAT RACE CLASSIC [総理大臣杯] 歴代優勝者
開催年 開催場 優勝者
第1回 1966年 平和島 長瀬 忠義
第2回 1967年 住之江 竹内 虎次
第3回 1967年 住之江 石川  洋
第4回 1968年 戸 田 岡本 義則
第5回 1970年 住之江 加藤 峻二
第6回 1971年 蒲 郡 松尾 幸長
第7回 1972年 福 岡 石黒 広行
第8回 1973年 浜名湖 鈴木 文雄
第9回 1974年 常 滑 彦坂 郁雄
第10回 1975年 下 関 石原  洋
第11回 1976年 住之江 常松 拓支
第12回 1977年 下 関 山本 泰照
第13回 1978年 丸 亀 北原 友次
第14回 1979年 浜名湖 松尾 泰宏
第15回 1980年 蒲 郡 中本 逸郎
第16回 1981年 児 島 平尾 修二
第17回 1982年 下 関 彦坂 郁雄
第18回 1983年 平和島 高峰 孝三
第19回 1984年 常 滑 増沢 良二
第20回 1985年 平和島 黒明 良光
第21回 1986年 平和島 古川 文雄
第22回 1987年 蒲 郡 国光 秀雄
第23回 1988年 戸 田 彦坂 郁雄
第24回 1989年 戸 田 高橋 博文
第25回 1990年 平和島 岩口 昭三
第26回 1991年 平和島 野中 和夫
第27回 1992年 蒲 郡 鈴木 幸夫
開催年 開催場 優勝者
第28回 1993年 戸 田 植木 通彦
第29回 1994年 平和島 大森 健二
第30回 1995年 平和島 服部 幸男
第31回 1996年 平和島 中道 善博
第32回 1997年 住之江 西島 義則
第33回 1998年 丸 亀 西島 義則
第34回 1999年 児 島 今垣光太郎
第35回 2000年 浜名湖 矢後  剛
第36回 2001年 尼 崎 烏野 賢太
第37回 2002年 平和島 野澤 大二
第38回 2003年 戸 田 西村  勝
第39回 2004年 福 岡 今村  豊
第40回 2005年 多摩川 笠原  亮
第41回 2006年 平和島 中澤 和志
第42回 2007年 平和島 濱野谷憲吾
第43回 2008年 児 島 松井  繁
第44回 2009年 多摩川 池田 浩二
第45回 2010年 平和島 山口  剛
第46回 2011年 戸 田 震災のため中止
第47回 2012年 戸 田 馬袋 義則
第48回 2013年 平和島 池田 浩二
第49回 2014年 尼 崎 松井  繁
第50回 2015年 尼 崎 桐生 順平
第51回 2016年 平和島 坪井 康晴
第52回大会 児島 優勝戦
2017年3月20日(祝)・第12レース

●第46回大会は「SG東日本復興支援競走」として2011年8月に代替開催(優勝者・重野哲之)