the INTERVIEW
"SG初優勝に一番近い男"と呼ばれ続けた白井英治が、ついにその栄冠を手に入れた。8月31日、若松。SG第60回ボートレースメモリアル(モーターボート記念)の優勝者は、スポットライトを浴びながら師匠・今村豊と感激の抱擁を交わした。
白井は、今年1年、地元・下関のSGチャレンジカップに「出場」することだけを念じて戦ってきたという。いよいよそのときが来た。1ヵ月前の下関60周年は、常滑・SGボートレースダービー(全日本選手権)のケガで欠場となったため、チャレンジカップは下関凱旋レースでもある。今度は「優勝」することだけを念じて、白井はチャレンジカップに挑む。
(インタビュー&構成/『マンスリー BOAT RACE』井上泰宏)
--スタートはコンマ00でした。
白井 「たまたまですよ。自分ではそんなに早いという感覚はなくて、『良いスタートが行けた』くらいにしか思っていませんでした(苦笑)。それも自分らしかったと言えばそうなんだと思います。入っていると思って行って、00の際(きわ)だったわけです。自分らしかったと思いますよ、勘がない感じで(笑)。
スタートは本当に難しいです。早いタイミングで行く人間はFをしてしまうんです。ただ、スタート巧者と呼ばれるような人は勝負所できっちりスタートを決めてくる。そういうところを自分も身につけていかないといけないと思います」
--2005年多摩川のボートレースクラシック(総理大臣杯)の優勝戦でFをしていますが、そのことが頭をよぎりませんでしたか?
白井 「今回のメモリアルに関して言えば、なかったですね。良いスタートだと思って行っていますから(笑)。その分、余裕を持って1マークを回ることができたんですけどね。
クラシックの優勝戦でFをしたことは、今までずっと背負ってきたつもりです。あの後も何度もSGの優勝戦に乗って、何度か0台のスタートやトップスタートを決めていますけど、全部スピードの乗っていないスタートでした。思い切って行けたことはなかったです。同じ失敗はできないので、あのときのFが重い十字架になっていました。
でも、僕はあのときに切らなくても、勝ちたい気持ちが逸っていつか切っていると思うんです。そういう性格ですし...(苦笑)。そこは自覚しつつ、メンタル面も鍛えてきたつもりです。
Fをしたクラシックの後では、メモリアルが初めて、思い切って行って0台に入ったスタートができたSGの優勝戦でした。これまでにも00とは言わなくても、全速で0台のスタートを決めることができたら優勝できるチャンスはありました。だって、SGの優勝戦に乗っているということはある程度モーターも仕上がっている状態でしょ。スタートもしやすいことが多いです。でも、その足を生かすことができなかった。メモリアルではやっとそれができました」
--"SG初優勝に一番近い男"と言われ続けてきました。
白井 「まぁ、何回も優出はできていたので、実績的にそう言われることは当然のことだと思います。自分でも『何で獲れないのかな?』と思うことはありましたけど、それがプレッシャーになることはなかったです。優勝するには欠けているところがあったんですよ。メモリアルでは"スピードの乗ったスタート"という、欠けていたピースを埋めることができた。それが優勝につながったと思います。
それに、1号艇でSGの優勝戦に乗ったことがなかったですからね。途中からは『1号艇で乗りたくない』とも思っていました(笑)。1号艇で乗れば勝てるというわけじゃないけど、初優勝に関しては1号艇でインから逃げるよりも、ほかのコースから勝ちたいと思っていました」
--ダービーでは帰郷、下関60周年は欠場となってしまいましたが・・・。
白井 「SG初優勝で自分自身に何か変化が生まれるかなと楽しみにしながら、ダービーに行ったのですが、初日に転覆してしまってそれどころじゃなくなりました。手をケガしてしまって、余裕がなかったです(苦笑)。
すぐに帰郷することも考えましたけど、転覆したときには2日目の番組ができていたのでそれは走ることにしました。するとたまたま着が獲れて、準優が見えてきたんです。結局、準優に乗ることができなくて帰郷したけど、その時点では予選突破の芽が出たんです。やっぱり人間だからいやらしい心があるわけですよ。展開が向けば準優、優勝戦と進めるかもしれないと思って、無理をしながら走ってしまった。
そうやって無理をした分、ケガがひどくなってしまいました。下関60周年はSG初優勝後最初の下関でのレースでしたから、欠場することになって、ファンの方にも、関係者の方にも、自分のミスで本当に申しわけなかったと思っています」
--下関でチャレンジカップ開催が決まったときは、どう思われましたか?
白井 「やっと地元でSGを走るチャンスがきたので、『これだけは出たい!』と思いました。今年に関しては、SGで優勝することが目標ではなく、地元のチャレンジカップに出場することだけを考えて戦ってきました。
今年から出場選手が32人に減った分、賞金も稼がなきゃいけないですしね。みんながグランプリに向けて頑張るところを、僕はチャレンジカップに向けて走っていました。
だから、下関60周年は一つの"覚悟"を持って欠場しました。地元の周年ですから、やっぱり走りたいですし、悔しいですよ。でも、『ここで無理を重ねるよりも、チャレンジカップに全てを注ぎ込もう』と、覚悟を決めました」
--チャレンジカップへ抱負をお願いします。
白井 「初めての地元のSG出場なので、とにかく結果を出したいと思っています。ドリーム戦、準優勝戦、優勝戦と全て1着を獲って優勝することができれば一番ですね。優勝できれば自分にとっても自信になります。そういうつもりで、いろいろと準備して行きます。手のケガを治すこともそうですし、減量にしてもそうです。
減量も、やり過ぎると事故につながってしまうことがあります。筋肉をつけた方が動けるなら、体重は少し増えるかもしれません。そのときのベストの状態に持って行きます。
下関でSGを走ることは特別です。05年のグランドチャンピオンのときは、クラシックでFをしてしまったために出場することができませんでした。今年1年間の思いや、05年に走れなかったことも含め、選手になってからの全てをぶつけたいと思います」
(2014年10月31日現在)
| ◆通算成績 | |||||
|---|---|---|---|---|---|
| 出走回数 | 優出 | 優勝 | 2連率 | 3連率 | |
| 通算 | 3625回 | 168回 | 63回 | 56.2% | 71.5% |
| SG | 543回 | 14回 | 1回 | 42.7% | 61.1% |
| GI | 1304回 | 40回 | 8回 | 45.4% | 62.2% |
| ◆全国成績(最近3節) | ||||
|---|---|---|---|---|
| 14年 | 10月 | 常滑 | SG・ダービー | 失 2 1 3 4 (途中帰郷) |
| 14年 | 10月 | 桐生 | 一般競走 | 5 2 2 2 3 3 2 5 1 1 |
| 14年 | 9月 | 唐津 | 一般競走 | 1 4 1 1 1 2 1 2 2 |
| ◆下関成績(最近2節) | |||
|---|---|---|---|
| 14年 | 4月 | GIII・企業杯 | 1 1 3 1 2 2 1 1 1 1 |
| 14年 | 2月 | GI・周年 | 4 1 2 4 2 3 3 2 |
--若松で行われたメモリアルでSG初優勝。優勝したときの気持ちはいかがでしたか?
白井 「レースが終わったときには、『あぁ、優勝できたんだな』くらいの感じだったんですよ。一般戦で優勝したときと変わらない感じでした。でも、ピットに戻ると今村(豊)さんが走ってきてくれて...。ウルっときちゃいました。本当に自分のことのように喜んでくれて、あれが本当に嬉しかったですね。
その後もあまり実感はなかったですけど、電報や花束などたくさんいただいたことで実感が湧いてきました。多くの人に祝福していただいたことで、『みんな喜んでくれているんだ』『SGで優勝したんだな』とね。
ファンの人たちも含めて応援してくれた人たちには本当に感謝しています。若いときに優勝していたとしたら、この気持ちは持てなかったかもしれない。『獲ったぞ』という気持ちだけで終わっていたんじゃないかなあ。いろいろと経験してきたから、過去があったからだと思うし、だからこそ今村さんも泣いて喜んでくれたんだと思います。そういう風に考えると、ベストタイミングでの優勝だったかもしれませんね」
--優勝戦では山口勢が内枠を固めました。
白井 「やっぱり、滅多にない状況ではありましたよね。その状況でも集中できていたことは良かったですね。それに、今までとは違う気持ちでいられました。内に山口支部が3人いるわけでしょ。『自分が失敗したとしても、ほかの2人が勝ってくれれば良い』という気持ちがありました。そこがこれまでのSGの優勝戦とは違うところでしたね。ああいった特殊な状況が、気持ちを良い方向に持って行ってくれたのかもしれません」